<説教要約>「いやされた人の証し」 2018年11月4日

イザヤ書35章3節~7節/ヨハネによる福音書9章3節~17節

熊江 秀一牧師

 生まれつき目が見えない人がいやされたできごとは、エルサレムの人々に驚きを与えた。このような実例は旧約聖書にはないが、今日の聖書箇所であるイザヤ書のy9おうにメシア到来の預言のできごととして記されている。人々が驚く中、いやされた本人が自ら声を上げ、主の御業を証しし始める。この証しは大きな力となる。ファリサイ派の議論を生み、彼らの罪を明らかにする。

» 続きを読む

<説教要約>「イエスさまはよいひつじかい」 2018年10月28日

詩編23編1節~6節/ルカによる福音書15章1節~7節

熊江 秀一牧師

<教会学校との合同礼拝>

 あるとき、イエスさまは神の愛を教えるために、こんなお話をしてくださった。

 ある所に100匹の羊をかっている人がいた。この羊飼いは羊に名前を付けて、その名を呼んで大切にしていた。ある日、その中の「コロ」が群れから離れてしまった。羊は目が良くない上、熱心になると周りが見えなくなる。しかもコロは岩穴に落ちてしまった。コロはもう、自分では家に帰れない。

» 続きを読む

<説教要約>「神の御業が現れるために」 2018年10月21日

詩編46編2節~12節/ヨハネによる福音書9章1節~7節

熊江 秀一牧師

 仮庵の祭の時、弟子たちは生まれつき目の見えない人を見て、この人の障害は誰の責任かと主イエスに尋ねた。ユダヤ社会では、障害は罪を犯した報いだと理解された。「因果応報」の考え方である。これは現代日本においても根強く残っている考え方だ。

» 続きを読む

<説教要約>「それは誰の信仰によるのか」 2018年10月14日

出エジプト記3章13節~15節/ヨハネによる福音書8章48節~59節

西谷 祐司神学生

 ヘブライ人への手紙11章は、有名な「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」という、新約聖書において1回限り信仰を定義する1節に始まり、その定義通り、目に見えないものを求めた信仰ゆえに神に認められた人たちの名前が列挙される。アベル、エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフと続き、モーセに至る。モーセは出エジプト記に記されたように、奴隷として重い労働にあえいでいたイスラエルの民をエジプトの軛から解放し、神がアブラハムに約束されたカナンの地に導いた指導者であり、今日までユダヤ教最高の預言者と言われる。

» 続きを読む

<説教要約>「初めから“ある”お方」 2018年10月7日

出エジプト記3章13節~15節/ヨハネによる福音書8章48節~59節

熊江 秀一牧師

 私たち教会の信じる神は、父・子・聖霊の三つの役割を持って、私たちに創造・救い・聖化を成し遂げる三位一体の神である。しかしそれを受け入れることはなかなか難しい。同じ旧約聖書を正典とするユダヤ教の信者も受け入れることが困難で、イエスを神として受け入れられない。今日の箇所のユダヤ人たちもそうであった。

» 続きを読む

<説教要約>「神の民として」 2018年9月30日

詩篇34編2節~11節/ペトロの手紙(一)2章1節~10節

熊江 秀一牧師

 ペトロは神の民を「神のものとなった民」と呼んだ。私たちは神のもの、神に属する者である。しかし私たちは「かつて神の民でなかった」。「暗闇の中」にいた。そんな私たちが「驚くべき光の中へと招き入れられた」。神の憐れみを受け、主イエスによって神の民とされたのである。

» 続きを読む

<説教要約>「幸いなるかな、心の貧しき者」 2018年9月23日

詩篇70章2節~6節/マタイによる福音書5章3節

高橋 真之伝道師

 主イエスは、ご自分のところに集まった群衆たちを前に山に登られ、そこから「山上の説教」と呼ばれる一連の説教を語られた。この山上の説教の第一声は「幸いである」という言葉で始まり、主イエスは何よりもまず、キリスト者の「幸い」に関して語られたのである。

» 続きを読む

<説教要約>「真理はあなたを自由にする」 2018年9月16日

創世記15章1節~7節/ヨハネによる福音書8章31節~47節

熊江 秀一牧師

 「わたしの弟子にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」。主イエスは、御言葉に生きる幸いを宣言した。

» 続きを読む

<説教要約>「世の光、主イエス」 2018年9月9日

詩編36章6節~10節/ヨハネによる福音書8章12節~30節

熊江 秀一牧師

 「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」。主イエスは仮庵祭の時、神殿の布陣の庭に高く据えられた燭台を前に宣言した。

» 続きを読む

<説教要約>「主イエスと姦通の女」 2018年9月2日

詩編103章1節~13節/ヨハネによる福音書7章53節~8章11節

熊江 秀一牧師

 主イエスのもとに姦通の現場で捕らえられた女が連れてこられた。律法学者たちは「こういう女は石で打ち殺せ」と律法は命じるが、どう考えるかと主イエスに問うた。この問いはどう答えても不利になる。イエスを訴えるための口実であった。

» 続きを読む

«<説教要約>「生きた水の流れ」 2018年8月26日