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<説教要約>「湖上を歩く主」 2018年7月15日

 詩編107編23節~32節/ヨハネによる福音書6章16節~21節

熊江 秀一牧師

 5000人の食事の後、主イエスはひとり山へ退かれた。人々がイエスを王にしようとしていたからである。彼らにとって王の条件は、ローマの支配から解放し、自分たちの腹を満たしてくれる方であった。しかし主イエスは、十字架の命を持って人々を養う王であった。私たちは自分に都合の良い主の姿を作り上げてしまう。そんな時、主は私たちの元から退かれる。

 この間、弟子たちは舟で湖の向こう岸に向かった。そこで嵐に直面した。弟子の内、4人はこの湖の漁師だった。しかし突然の嵐を前に、彼らの知識も経験も崩れ去った。

 そんな弟子たちのもとへ、主イエスは山を下り、近づいてこられた。私たちの人生の旅のただ中で突然の試練という嵐に出遭い、知識も経験も崩れ去ることがある。そんな私たちの元に、主イエスは低く下って来てくださる。

 しかし弟子たちは主イエスだと分からなかった。それどころか恐れ、悲鳴を上げた。それでも主は見捨てない。「わたしだ。恐れることはない」と、ご自分をお示しになる。この箇所のクライマックスは「わたしだ」である。これは「エゴー・エイミー」、神がモーセに示された神の名前を意味する。弟子たちには、この神の権威を示す言葉だけでもう十分であった。主イエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いたのである。

 「舟」は、教会を表すシンボルである。私たちは主イエスを頭(かしら)とする教会という舟に乗って、この世の旅路を歩む。詩編107編の詩人が歌うように「望みの港」に向かって進んでいける。私たちも教会という舟に乗って主に導かれ、共に御国を目指して旅を歩もう。

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