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<説教要約>「五つのパンと二匹の魚」 2018年7月8日

 出エジプト記16章11節~15節/ヨハネによる福音書6章1節~15節

熊江 秀一牧師

 ヨハネによる福音書の5000人の食事の奇跡のメッセージは、主イエスが「命のパン」ということである。

 6章後半で主は、荒れ野のマナとご自身を結びつけて語る。しかもマナに勝るものとして、信じる者に永遠の命を与える「命のパン」と宣言する。そして過越祭との関連で告げられているように、主イエスは自らを「犠牲の小羊」とし、十字架にかかって養ってくださる。

 この物語は、弟子のフィリポへの問いから始まった。これはキリストのお姿を指し示す問いであったが、彼は文字通り受け止め困ってしまった。そんな時、少年が五つのパンと二匹の魚を捧げた。しかし弟子のアンデレは「何の役にも立たない」と告げた。彼らは命のパンである主イエスがおられるのに、見失っていた。この弟子たちの姿は、私たちの現実である。

 しかしそんな弟子たちに、主は御力を示される。主はパンと魚を手に取り、感謝の祈りを唱えて裂き、群衆に分け与えた。するとすべての人が満腹した。その上、残ったパンくずだけで12のかごがいっぱいになった。これはイスラエル12部族を象徴する。パンくずだけでイスラエルの全部族が満たされる。また新しいイスラエルである教会が満たされる。キリストの恵みは、それほどまでに大きいのである。

 「感謝の祈り」とは、英語では「ユーカリスト」と言い、聖餐を意味する。このできごとは、主の晩餐とともに聖餐制定の根拠となった。

 「少しも無駄にならないように」は、「御子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである」(ヨハネによる福音書3章16節)の「一人も滅びないで」と同じ意味の言葉である。命のパンである主に養われ、その恵みを無駄にすることなく、私たちもそれぞれ五つのパンと二匹の魚を主に捧げよう。

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