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<説教要約>「生きた水の流れ」 2018年8月26日

エゼキエル書47章1節~9節/ヨハネによる福音書7章37節~39節

熊江 秀一牧師

 主イエスは私たちを精霊の恵みに招く。主は精霊を「生きた水」と呼ぶ。そして「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」と招かれる。

 仮庵祭の最終日。荒野の旅で神が与えた命の水を思い、祭壇に水が注がれた時、主イエスはこの招きの言葉を叫ばれた。この言葉は、原文では「句読点」がなく、複数の意味に取れる。特に「その人」とは誰なのか議論されてきた。この訳のように「主を信じる私たち」とも取れる。しかし「主イエス」とも取れる。主ご自身から生きた水が川となって流れ出るのである。

 預言者エゼキエルは新しいエルサレム、新しい神殿の幻を示された。その時、神殿の祭壇から流れ出た水が川となり、命が満ちる光景を見た。この新しい神殿は、新約聖書ではイエス・キリストとして実現する(ヨハネの黙示録21章22節)。主イエスから生きた水が川となって流れ出て、その水をいただいて民は渇きをいやされ、命にあふれる。「聖書に書いてあるとおり」とはエゼキエル書の御言葉である。そしてその生ける水をいただいた私たちが「聖書に書いてあるとおり」に「潤された園、水の涸れない泉となる」(イザヤ書58章11節)。

 生きた水である精霊は、主が栄光を受けられた後に与えられる。主の栄光とは、ヨハネによる福音書では「十字架の栄光」である。荒野で神が与えた命の水は、モーセによって打たれた岩から流れ出た。主イエスも打たれることによって、十字架の栄光によって私たちに生ける水である精霊が与えられた。主の招きに応え、生ける水をいただき、泉となってこの水を分かち合い歩もう。

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