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<説教要約>「真理はあなたを自由にする」 2018年9月16日

創世記15章1節~7節/ヨハネによる福音書8章31節~47節

熊江 秀一牧師

 「わたしの弟子にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」。主イエスは、御言葉に生きる幸いを宣言した。

 御言葉に「とどまる」とは、御言葉に耳を傾け、学び、御言葉を通して神が何を語りかけているかを洞察し、御言葉に従うことである。その時、主の弟子となる。「真理」とは、神の真理である主イエスのこと。御言葉にとどまる時、神の真理、主に出会い、自由を得る。しかしこの言葉を聞いたユダヤ人たちは怒り、文句を言い始めた。自分たちはアブラハムの子孫で、誰の奴隷でもなく自由だ、と言う。彼らはアブラハムの血筋であることに誇りを持っていた。しかしここで主が告げる「自由」は、罪からの解放、死と滅びからの自由のことであった。彼らにはそれがわからず、家柄意識の中でそれを拒絶してしまった。

 そんな彼らに、主イエスは告げる。「アブラハムの子なら、彼と同じ業をするはずだ」。アブラハムは信仰の父と呼ばれた。だから、その子孫は信仰に生きる。しかし彼らは正反対の歩みをして、イエスを殺そうとしている。そんな彼らを主は悪魔を父とする者、と呼ぶ。

 私たちは誰の子となっているか。誰に属する者となっているか。神のかたちに造られた私たちは、神に属する者であるはずだが、罪に覆われて悪魔に属する者となっていないか。

 しかし、そんな私たちを再び神の子として生かすために主イエスは来てくださり、十字架にかかってくださった。そこに神の真理があり、私たちの自由がある。

 敬老祝福礼拝にあたり、先輩たちとともに御言葉にとどまる信仰を歩み、神の真理である主イエスの恵みの中で生きよう。

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