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2018年10月

<説教要約>「神の御業が現れるために」 2018年10月21日

詩編46編2節~12節/ヨハネによる福音書9章1節~7節

熊江 秀一牧師

 仮庵の祭の時、弟子たちは生まれつき目の見えない人を見て、この人の障害は誰の責任かと主イエスに尋ねた。ユダヤ社会では、障害は罪を犯した報いだと理解された。「因果応報」の考え方である。これは現代日本においても根強く残っている考え方だ。

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<説教要約>「それは誰の信仰によるのか」 2018年10月14日

出エジプト記3章13節~15節/ヨハネによる福音書8章48節~59節

西谷 祐司神学生

 ヘブライ人への手紙11章は、有名な「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」という、新約聖書において1回限り信仰を定義する1節に始まり、その定義通り、目に見えないものを求めた信仰ゆえに神に認められた人たちの名前が列挙される。アベル、エノク、ノア、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフと続き、モーセに至る。モーセは出エジプト記に記されたように、奴隷として重い労働にあえいでいたイスラエルの民をエジプトの軛から解放し、神がアブラハムに約束されたカナンの地に導いた指導者であり、今日までユダヤ教最高の預言者と言われる。

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<説教要約>「初めから“ある”お方」 2018年10月7日

出エジプト記3章13節~15節/ヨハネによる福音書8章48節~59節

熊江 秀一牧師

 私たち教会の信じる神は、父・子・聖霊の三つの役割を持って、私たちに創造・救い・聖化を成し遂げる三位一体の神である。しかしそれを受け入れることはなかなか難しい。同じ旧約聖書を正典とするユダヤ教の信者も受け入れることが困難で、イエスを神として受け入れられない。今日の箇所のユダヤ人たちもそうであった。

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<説教要約>「神の民として」 2018年9月30日

詩篇34編2節~11節/ペトロの手紙(一)2章1節~10節

熊江 秀一牧師

 ペトロは神の民を「神のものとなった民」と呼んだ。私たちは神のもの、神に属する者である。しかし私たちは「かつて神の民でなかった」。「暗闇の中」にいた。そんな私たちが「驚くべき光の中へと招き入れられた」。神の憐れみを受け、主イエスによって神の民とされたのである。

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