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<説教要約>「いやされた人の証し」 2018年11月4日

イザヤ書35章3節~7節/ヨハネによる福音書9章3節~17節

熊江 秀一牧師

 生まれつき目が見えない人がいやされたできごとは、エルサレムの人々に驚きを与えた。このような実例は旧約聖書にはないが、今日の聖書箇所であるイザヤ書のy9おうにメシア到来の預言のできごととして記されている。人々が驚く中、いやされた本人が自ら声を上げ、主の御業を証しし始める。この証しは大きな力となる。ファリサイ派の議論を生み、彼らの罪を明らかにする。

 ファリサイ派の人々は、この人の証しに脅しをかけて潰そうとする。この姿はヨハネによる福音書が書かれた当時の姿が込められている。その時代、ユダヤ教からの異端宣言によって「イエスをメシアであると言い表す者がいれば、会堂から追放する(22節)」という決定がされた。イエスを信じる者が村八分にされる現実の中、ヨハネは「神の御業がこの人に現れるために」との御言葉をいただき、いやされた人の証しを通して教会に励ましを与えようとした。この人は再び呼び出されたとき、こう証しする。「あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もできなかったはずです(33節)」。

 御業(エルゴン)は、ドイツ語の「エネルギー」の元になった言葉である。この人を通して神の御業、神の大きなエネルギーが人々に届けられていった。しかしユダヤ人たちはこの証言を受け入れず、この人を追放する。私たちも神の前に、自分の生き方が問われている。「わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。わたしは世にいる間、世の光である(4節)」。

 この御言葉は主ご自身と同時に、教会のことを語った言葉でもある。私たちも世の光である主の光に照らされ、主を証しして歩もう。

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